安井小学校卒業生の皆さんへ
【100周年記念合唱団募集】
11月1日 100周年記念イベントとして安井小学校校歌を講堂で声高らかに歌います。
会場には在校生代表200名、その他の児童は各クラス オンラインで合計700名が参加します。
それ以外に300名の校歌を歌ってくれる仲間を募集しています。
募集人数:300名
参加資格:安井小学校卒業生・父兄・教職員など安井小学校に関わるすべての方
内容:当日安井小学校講堂若しくはオンラインで校歌を歌います
校歌
【作詞】 薄田 泣菫 (※1)
(すすきだ きゅうきん)
【作曲】 永井 幸次 (※2)
(ながい こうじ)
1926年 (大正15年) 「西宮第三尋常小学校」 としての開校時は校歌がなく
1935年 (昭和10年) 講堂が完成した記念として校歌が作られたようです。
校歌が作られた経緯は
当時在校していた 小松左京さん の著書
『威風堂々うかれ昭和史』(※3)にも書かれています。
「― 山形県の出身で鎌田廉平先生という方だがね。
兄貴も小生もすぐ下の弟も、この先生に音楽をならったが、
この方が卒業大学の学長に作曲を依頼し、
作詞を当時安井小学校の近所にすんでいた
薄田泣菫氏にたのんだらしい。」
小松左京さんは、ほかにも同書の中で
(それまで通っていた学校と比べて)
「安井小学校校歌は、メロディも優美だったが、
なにしろ、歌詞があの薄田泣菫作だったからね。」
(中略)
「『♪大空高く太陽の 光かがやく西宮 ここなる広き学園に
学ぶわれらは若き樹々 若き樹なればすくすくと』と、
まあなかなかきれいだし、当時もえてた詩人らしい語感だ。」
(中略)
「こっちの校歌のほうが叙情的でメロディも美しい」
と、校歌への思いを述べています。
この時期に作られた校歌は、歌詞が軍国主義的であるとされて
戦後に廃止・改作されたことも多いようですが、安井小校歌は
薄田泣菫の美しくのびやかな歌詞が愛され歌われ続けています。
現在、3番はほとんど歌われていません。
その理由を考えてみましょう(↓)
(※1)
【薄田 泣菫】 (1877~1945)
明治・大正期に活躍した詩人・随筆家で
島崎藤村や土井晩翠の後を継ぐ浪漫派詩人として知られ
芥川龍之介や与謝野晶子にも影響を与えています。
大阪毎日新聞社に学芸部長として勤めていた頃に
安井小校区に住んでいたことから校歌を作詞しています。
(※2)
【永井 幸次】 (1874~1965)
西日本初の音楽学校「大阪音楽学校」の設立者で
その後身「大阪音楽大学」の初代学長も務めたことから
「関西音楽界の父」ともいわれる音楽教育者です。
童謡や唱歌の作曲者としても知られ
関西の学校の校歌も多く手がけています。
(※3)
【参考資料】
小松 左京
『威風堂々 うかれ昭和史 』(pp.129-136)
中央公論新社 ,2001年